『13の理由』構成の妙と人物描写の巧み

 ネットフリックスで配信中のドラマシリーズ『13の理由』。シーズン2の公開が予定されている本作であるが、このシリーズの魅力は、視聴者の善悪の判断や人物れの評価を揺さぶり続ける構成のうまさにあると思う。

 

 まず、シリーズ序盤では自殺したハンナについて、彼女の被害者意識の強さを強調するように描かれている。すなわち、彼女が自殺してしまったのは、彼女自身の弱さも一因なのではないか、と被害者へも非難の矛先を向けさせるような作りになっているのである。作中でも語られているように、ハンナの振る舞いにはやや演技過剰な部分があり、それが彼女の美貌と相まって、視聴者にとっては被害者にやや感情移入しづらくなるような人物造形のように思える。加害者側が被害者の行動に怒りを覚えるのは自己防衛の観点から言えばある意味理解はできるが、完全な傍観者である視聴者も、似たような感覚を覚えるかもしれない。

 現実世界で何らかの事件が発生した場合においても、被害者が潔白な生活を送っていたかどうかが格好の話題となることがある。大多数の人間は何かしら人に言えないような汚点を抱えているものであるが、日常生活においてそれが取り沙汰されることは少ない。しかし、事件の当事者になることによって、彼ら彼女らの人生全体が裁かれることになる。そして、一つでもその人生に叩きどころがある場合、彼らが被害にあったのは自業自得だとでも言わんばかりの主張が繰り広げられる。

 確かに、一連の事件においてハンナの行動に全く非がなかったかと言われれば、そうではないかもしれない。ハンナがテープの中で提示する加害者リストの中には、明確な悪人だけでなく、居合わせたタイミングが悪かったがゆえに、加害者として扱われてしまっただけの人もいる。モラルにかける行動ではあるが、人の命を奪ったという罪悪感を背負っていくには、あまりに罰が重すぎると言わざるをえないものも存在する。

 しかし、それがハンナへの非難を正当化することにはならないはずである。彼女の性格的な問題と、彼女が受けた被害とは分けて考えるべきものであり、そこに関連性を見出して自己責任論を振りかざすのは誤っている。物語が進行していくにつれて、視聴者はそのことに気付かされる。彼女がどんな人間であろうと、彼女が背負わされた苦しみは彼女の責任ではないのである。

 普段自己責任論を他者に押し付けてしまいがちな人間であっても、シリーズを視聴しつづけることによって、そのような認知の変容を迫られる。それが本作の構成の妙ではないかと思われる。 

 

 そして、最終的に自殺への引き金を引いたのは何であったのか、ということを考えなければならないと思う。

 リバティ高校にやってきてからのハンナの生活は悲惨なものであった。しかし、その多くは他人の大小の悪意によってもたらされたものであり、ハンナに責任はない。巡り合わせの悪さと、悪意ある人間によってもたらされた被害だけならば、すなわち、彼女が純然たる被害者でいられたならば、彼女の心にも自殺を思いとどまるだけの自尊心は保たれたかもしれない。あまり褒められたものではないが、人生がうまくいかないで本当に辛いときには、自分ではなく、周囲にその原因を求めることで短気的には平静を保てることもある。

 しかし、物語の終盤にいたり、彼女はある小さなミスを犯す。既にシリーズを最後まで視聴された方はおわかりかと思うが、全体からみれば本当にささいな事件である。少し迂闊だっただけの行動だが、それによって彼女は大切な人を困らせてしまうことになった。

 心が弱っているときにこのようなミスをしてしまうと、本当に心にくる。自分が実に無価値な人間に思えてくるし、この先自分が生きていても、周囲の人間に迷惑をかけるだけなのではないかとすら思えてくる。長い目で見れば大したことではないのだが、その渦中にいる当人には、そのような視点を持つことは難しい。

 そして最後の大きな事件が起きる。彼女の自尊心はついに壊されてしまい、もはやどんな慰めも届かない状況に陥ってしまった。

自尊心の崩壊は本当に重い。