映画『羊の木』どこまでいっても他人は他人(ネタバレ感想)

映画『羊の木』 | 2018年2月3日(土)全国ロードショー

 かつて殺人を犯した者たちと信頼関係を築くことができるのか、異質な他者を受け入れることができるのかを問う作品。以下はネタバレを含みますので、未視聴の方はご注意ください。

 様々な理由で殺人の罪を犯した六人の元受刑者たち。罪に対する向き合い方も多種多様であり、「殺人犯」「元受刑者」などのカテゴリーで人を括ることの無意味さ・虚しさであることがわかります。無論、全ての人間が悪人ではないということではありません。自らの罪に対しなんら反省の念を抱いていないものや、悪人とは言えずとも、倫理観に問題を抱えている人間もいます。ちょっとしたきっかけで簡単に我慢の効かなくなる人間など、やっぱりこの人たちは罪を犯すべく犯したのだ、またやるに違いないと思わざるを得ない場面も多々出てきます。いかに綺麗事を並べようとも、近所に殺人犯がいることに対する拭いきれない不安、ふとした拍子にあらわれる潜在下の恐怖は否定することは難しい。

 一方で、殺人犯であるという先入観を持たないで彼ら彼女らを見ると、少し無愛想なだけのよくいる人のようにも思えます。本作では、一部の人間を除いて、多くの住民は彼らがかつて殺人を犯したことを知りません。事情を知っている人間の視点、そうでないものの視点から見た人物像を織り交ぜることにより、人間というものの評価が一概に言えるものではないことを表現しています。これは殺人犯に限らず、様々な属性に対して言えることでしょう。

 

 そして、本作の最重要人物、松田龍平演じる宮腰。彼は非常に難しい人物のように思えます。彼が犯した殺人は一度きりではなく、かつて少年院に入っていたことも作中では明かされています。彼は危険な人物かと問われれば、間違いなくそうであると断言できますが、彼が根っからの悪人なのかと問われれば、そうとも言い切れない。そんな風に思わせる人懐こさや素朴さが彼にはあり、観る者の心に揺さぶりをかけてきます。これは人間の他者に対する評価の適当さや曖昧さからくるものであり、こんな人間に同情してしまう自分の人物評などあてにならないのではないかと自問させられます。

 彼は少なくとも平時は周囲の人間に対して誠実でしたし、友人である月末の裏切りも許す度量があります。それは彼が感情のないサイコだからではなく、怒りを感じつつもそれを抑えることのできる人間だからでしょう。

 しかし、その一方で罪の無い人間をあっさり手にかける異常さ、自らにとって邪魔な人間を逡巡なく殺める恐ろしさを持っています。北村演じる杉山は宮腰のことを、何も考えずに人を殺す短絡的な人間と評していましたが、その表現はまさに的を射たものであり、殺人に対する心理的ハードルの低さは恐ろしいと言う他ありません。

 彼の行動原理は常人には到底理解できるものではなく、本当の意味で他人を理解することなど不可能なのだということを思い知らされます。ならいっそのこと、超自然的な力に裁きを下してもらうのも一つの手だろう。昔の人はそうやって決めてきたのかもしれませんが、現代社会ではそれは受け入れられないのでしょうね。

 

 余談ですが、バンド演奏のギターはさすがにやかまし過ぎると思います。あれが他者には理解されない世界の演出を目指したものだと言うなら、明らかにやり過ぎです。長いししつこい。単純に音量が耐えきれるものではなかったので、もっとメロディのおかしさとかそういった表現を用いるべきではないかなと考えてしまいました。私は耐えきれずに耳を塞いでしまった狭量な人間です。一次的な刺激はどれだけ理性を働かせても耐え難いものだということも分かりました。