『幼年期の終わり』進歩の先にあるものは

ストーリー(ネタバレ)

 圧倒的な科学力を持った異星人(オーバーロード)が地球にやってくる話。彼らは地球を侵略するわけでもなく、何かを要求するわけでもなく、ただ地球の管理者・裁定者として存在するのみである。彼らはやがて人類にテクノロジーを提供するようになり、単純労働から開放された人類は創造性をいかんなく発揮し、黄金時代を迎えることになる。

 しばらくときが経ち、人類に異変が起こる。超自然的な力に目覚めた子どもたちが誕生するようになり、幼年期を終えた人類は集合的な存在として、新たな生命体へと進化を遂げる。オーバーロードの目的は人類の進化を見守ることにあり、戦争や疫病などで、進化の前に人類が滅びることのないように保護することであった。

 彼らは人類の進化を見届けたあと地球を去っていく。科学が到達しうる限界にまで到達してしまった彼らには、もはや種族としての伸びしろは無く、地球を去る彼らの姿には、人類に対するある種の羨望のようなものが感じられた。

 

 

感想

進歩の喜びと虚しさ

 以上がざっくりとした筋書きです。以下に感想を述べていきたいと思います。

 さて、本作で描かれる人類は、与えられたテクノロジーによって栄華を極めたあとに超自然的な進化を果たすわけですが、現実の人類がそのような発展の段階を踏むことはおそらく無いといってよいでしょう。では、本作で描き出そうとしているものは何なのか。大幅な人口減や知識の喪失などがなければ、人類は科学的に順調な進歩を遂げていくと思われますが、その先にはいったい何があるのでしょうか。

 私としては、本作の中心的なテーマは人類の進化にあるのではなく、むしろ種族としての伸びしろを失ってしまったオーバーロードが何を指すのかという点にあるのではないかと思います。つまり、本作で描かれるオーバーロードこそが、人類の遠い未来の姿なのではないかと語っているように思うのです。

 現代の社会を突き動かす原動力は経済の拡大とテクノロジーの進歩にありますが、それはその先に豊かな未来があるはずという希望に拠るものです。現状への不満と目指すべき社会という目標があるからこそ、ヒトは進歩を目指すのであり、結果的にテクノロジーの発展の加速度は増すばかりです。すでに今生まれてきた人間が寿命を迎えるまでにその歩みが止まることはないでしょうが、数百、数千、数万年後の未来はどうでしょうか。理解できない現象などほとんど無くなり、解くべき問題をあらかた解きつくしてしまったとき、人類は何を目標として生きていくのでしょうか。

 本作では、人類の創造性と芸術の勃興などを通して短期的な進歩の素晴らしさを説く一方で、長期的な進歩の先にたどり着く虚しさのようなものも描かれています。そして、そこから現代の不完全な社会をある意味では肯定するような、相対主義的な見方を提示しているのではないかと思います。

 

もう少しスケールを小さくして

 先に惑星・人類レベルでの感想を述べたうえでなんですが、国家・民族レベルの話もしておきたいと思います。

 本作では、人類はオーバーロードから自分たちがいまだ到達していない圧倒的な科学力を授けられるのですが、これは現代の途上国と先進国の関係と言えるかもしれません。もちろんオーバーロードのある意味では利他的な行動と異なり、先進国の技術提供は、そこから利益を得る目的があるという大きな違いはあります。

 しかし、いきなり一足飛びのテクノロジーを一方的に与えられるという状況だけみれば、構図としては同じかもしれません。というか研究者・開発者と消費者の関係も似たようなところがあります。プロセッサーやメモリ、光学の原理なんて知っている人はごくわずかです。突然スマートフォンなんていうおかしな道具を与えられ、わけもわからずそれを利用して生活の質を向上させるという点では本作における人類と、消費者としての我々との間にさしたる差異は無いのかもしれません。また、科学研究に携わる人々も、専門とする分野以外では消費する側に回る人がほとんどでしょうから、人類は互いに原理の分からないテクノロジーを与え合う関係とも言えるでしょう。

 すなわち、本作において、与えられたテクノロジーによって人類が体験した黄金時代の栄華を、今まさに我々も体験しているところなのではないかと考えることも可能ではないでしょうか。大分飛躍はありますが、ここからも、筆者の現代人類への肯定感のようなものが垣間見えるように思います。

 

おわりに

 この辺の問題が情報科学の分野でどのように議論されているのかが気になるところです。何らかの環境が与えられた際に、その環境について解くべき課題は無限に存在するのか否か。直感的にはそんなものいくらでも作り出せそうな気がしますが、それらの課題のうち、実際に解くまでもなく解けたとみなしてよいものを除いた場合、実質的に有限である可能性もあるかもしれません。

 対象とする環境を拡張できればこの問題も解決されるかもしれませんが、拡張した結果の環境がフラクタルようなものであれば、やはり課題を増やすことには貢献しないようにも思えます。環境というのは人類にとっては宇宙としてもよいと思いますが、そもそもこれ以上の拡張が可能なのかどうかも素人の私には分かりません。

 

 人類がいつか科学に飽きる日が来るのでしょうか。労働生産性の議論が盛んな昨今ですが、いつか何を目的とすべきかという議論をしなければならないときが来るのかもしれません。私はスマホゲーに飽きるとかその程度の知的レベルなので知ったこっちゃありません。テクノロジー万歳!